うだるような夏の暑さに、エアコンをガンガンきかせながらベットの上で寝返りをうったとき、だった。
鋭い眼光と、目が合ってしまった。
「・・・わァお、幽霊?」
「・・・生憎だが足はある」
「喋った! っと声的にもこれはお兄さんということかな」
「・・・あァ」
この季節感を丸無視した黒いロングコートにふわもこなキャスケット帽という出で立ちであるその人は、体格と声からして男性であると分かった。そして足もある、ということなので幽霊ではないらしい。とすると、ああこれは困ったな。いや、幽霊でも困るんだけど、人間でも困るというか。この空間に他の人間がいるのが異常事態というか。バクリバクリと心臓が鳴るのを、遅れて知覚する。
「申し訳ないけどうちに金目のものなんて無いよ?」
「・・・おれは強盗じゃあないが」
「あれ? その長刀的に私ばっさりやられるんじゃないの?」
「・・・むしろばっさりやろうと思ってたのはお前じゃないのか」
そんな返答に私は「ええ?」と首を傾げた。そしてそこでようやくのそのそと身体を起こしたのだった。いつまでも寝てるなんてさすがに人としてどうかと思うからね。一応ね。
「なんの話です?」
「・・・ここはどこだ」
「どう見ても私の家ですけど」
「そうじゃない。あー・・・」
「うん?じゃぁ日本ですけど」
「ニホン?」
「え?」
なんだそれは、というような鋭い目つきにびくりとするが、慌てて頷く。するとかの人は顎に手を当てて考え込んでしまった。でもまぁなんだ、結局どうやら自分は殺されないのか、と私は安堵と落胆の間で奇妙な気分になっていた。
「うーん、まあ無残な死体は確かに御免蒙るけど」
「何の話だ」
「うん? お兄さんにはもう関係なくなったらしいハナシだよ」
「・・・・・・チッ、ニホンといったが、どこの海だ」
「・・・海? ええっとどこって言われてもな・・・」
盛大に嫌そうな顔をして舌打ちするもんだから超極悪人面だった。しかしそれを気にするよりも質問された内容に戸惑っていた。どこと言われても太平洋とか大西洋とかはあるが海は海なのだ。つまりひとつだ。The Seaだ。そんな単純な認識しかない私は地理というものが大の苦手だった。さすがにもう大平洋と太西洋とか書くことはないけれど。許して欲しい、人間誰でも不得意なものというのはあるのだ。
「どこって・・・えー? 海って・・・えー? 私には太平洋とか日本海としか言いようがないよ。場所としては東アジアだけど・・・」
「東・・・? チッ、随分と飛ばされた」
「とば・・・? えぇ?お兄さん転勤・・・いやクビ? にでもあったの?」
「なに馬鹿なことを言っている」
「えぇ、ちょ、初対面に遠慮ないなぁ。違うの?じゃぁあれ、記憶喪失とか?」
刺々しい物言いに顔をしかめて、これじゃあクビにもされるなとつい思ってしまった。初対面に遠慮ない、とは自分で突っ込んだことだったのが、これでは人のことは言えないかもしれないなと苦笑した。まぁそのことを私の場合は言葉に出さなかったのだが。そしてもうひとつ挙げた記憶喪失という可能性は、彼の第一質問が「ここはどこだ?」だからである。おきまりのここはどこ? 私はだれ? なんていうフレーズが頭の中で流れたのだ。 けれども、それにしては言動がはっきりしているから、多分、違うのだろうなと直感した。そしてかのお人は、私の問いにゆっくりと答えを吐き出していた。
「違う、おれは・・・」
しかしそういって、彼はそれきり言葉を区切ってしまった。ますます刻まれた眉間のしわに、あとになって残ってしまいそうだと呑気に考えながら、私は言葉を待った。
「・・・まぁ、いい。地図を見せろ」
「地図? なんでまた・・・あーハイハイ分かりました」
疑問を口にすると、射殺さんばかりに鋭く睨まれたので大人しく立ち上がり、部屋にあるデスクトップパソコンの電源をつけるのだった。若干の起動時間があるためちらりとかの人を窺うと、しかし、彼は目を見開いて固まっていた。パソコンの画面を見詰めて。これは、驚いているのだろうか。
「これほどの文明・・・チッ・・・厄介なことになったな」
文明?と疑問が浮かんだがどうやら彼の中でこの事態は厄介らしい。いやまぁそれもそうだろう。私にだって厄介だ。大体この人どこから来たんだ。と、それは本来一番に出るべき疑問だったが、自分はそれを後回しにしていた。いやね、これでもビビってるんですよ、私。あはは、と乾いた笑いを浮かべたところでパソコンは起動した。
えーっと地図ちず・・・これは某先生に聞けば良いか?と適当にワードを入れて画面を開く。
「ほい、これが地図」
「・・・随分と明瞭だな」
「・・・当たり前じゃないですか・・・?」
この人は、パソコンを使ったことがないのだろうか。そう思えばその人に見せるようになんとなくマウスのホイールをくるくると回す。そうすると徐々に日本が小さくなっていき、全貌が見えてくる。
「はい、これがいわゆる世界地図。ええと、満足です?」
「・・・あァ」
けれど頷いた割にかの人の反応はいいものではなかった。というよりは反応が薄いというか鈍いというか。どうしたものかとまた彼を窺うよう振り返れば、思ったよりも近い位置に顔があってびっくりする。うおおやめてくれ、私はびっくり系とか苦手なんだ。しかしそんな私の内心など露ほども知らないであろう、彼は画面をじっと見詰めたまま動かなかった。正確にはその地図を見詰めたまま動かなかった。
「・・・どうしました・・・?」
「いや、ニホンはどこだ」
「えーっとここです、んーちっさいものでしょ?」
今現在日本に居るのに日本を知らないのかとも思ったが、知らないらしいのならば仕方がない。画面に触れてここですと指し示す。まぁ地図を見せろって言うくらいだし、もしかしたらちゃんと見たことが無い、のかもしれない。・・・この現代日本に居て?自分で考えたことなのに、にわかに嫌な予感がする。 しかしそんな予感をあえて無視して、またなんの気なしにマウスのホイールをくるくるとさせて今度は日本を拡大していった。
「ええと、そうそうこの辺。が、私の家があるところですよ、分かってもらえました?」
「あァ」
「で、お兄さん」
きょろり、と彼のほうを向くが、呼びかけたところで彼は無言だった。しかしいちいちそんなことを気にしている状況でもないので、構わず私は言葉を続けた。
「ええと、どうやら迷子ですか、ね?」
「・・・不本意ながらな」
彼は本当に不服であると言いたげに、眉根をこれでもかと寄せていた。しかしその言葉に私は納得していた。
「やっぱりかよー! ていうか本当に金品に興味ないんですね?」
「その言い方だと語弊があるが・・・そうだな、この家のものに興味は無い」
「じゃあ私の命が危ないというわけでも?」
「・・・お前が何もしないなら」
「なるほど! じゃあひとまずは安心かな」
と彼に笑いかけるがかの人は眉を寄せただけだった。まぁそれもそうか。どちらかというと私が少数派の行動を取っているだろうという自覚はある。普通は叫んで警察くらい呼ぶかな、と思うが私はそんなことは面倒であった。ぶっちゃけ警察が来るのなら私が殺された後にしてくれとでも思うくらいであった。
「おかしな女だな」
「はは、ごもっとも!」
「・・・」
「可愛く怯えて泣き叫べる性質だったら楽なんですけど。なんかそういうのどうでもよくて」
「恐くないのか・・・?」
「・・・どうでしょう? アナタが何者かって疑問もあって、確かに恐いんですけどね。でも・・・ああいや」
思わず喋りすぎたような気がして、口を噤んだが、彼は不思議そうに首を傾けるだけだった。それに無言で促された気がして、私は続きを喋る。
「いや・・・ね、あなたに殺されたら殺されたで、それも私の人生かなと」
「いかれてんのか?」
「えぇ、ひどいな!」
「死なないことに安堵していただろう」
「・・・まぁ死ぬの恐いですし痛いですし苦しいですし。そういうのは全部いやですからね」
言えばますますおかしなものを見るような目をされて私は苦笑した。しかしそれでも、私はなんら、冗談や嘘を語ったわけではなかった。死ぬのが恐くないわけじゃない。それでも私は、生に関して積極性とか、興味とか、そういうのが希薄であった。というより皆無といっていい。だから別に、殺されるならそれも人生だと思った。それに、まだ話の通じる人間に殺されるというのだったら、上出来な気さえする。それ以上に悲惨な死も存在しえるのだし、一思いにやってくれるのならばまぁ、大目に見よう、という感じだった。まぁ一思いじゃなかったらきっと恨むけどな!
・・・ほとほと、自分でも、生物として、人間として、おかしなことをいっているとは思っていて、呆れるし、いやになる。けれど、呼吸をしなくても良いというのは存外、楽なんではないかと考えてしまうのだ。私をこの世に留めるのは、単純明快で、かつ本能的な、死という未知への恐怖だった。あとは苦しいのと痛いのは嫌だとか。そして逆に言えば、その恐怖以外は、私をここに留める要因にはならなかった。
「やっぱりおかしなやつだ」
「よく言われます、と肯定すると、余計におかしいと言われちゃいますかねぇ?」
「・・・チッ」
またこれでもかと盛大に舌打ちして極悪人面をするので乾いた笑いが出た。のらりくらりと言葉を発している自覚はしている。こういうタイプの人には気に障るだろう。とは直感だが、あながち外れていないはずだ。なら何故わざわざそんな言い方をするのかって言えば、わざわざではない。単に素であるだけだ。こうやってのらくらと人をからかうのが私の通常なのだ。
「いやぁお兄さんも面倒な人間のトコに来たね」
「自分で言うのか」
「まぁ自覚はしてるから」
「・・・お前に何かを言い返すには無駄な労力を使いそうだ」
「あはは、褒め言葉だね」
「・・・」
ついには無言になったお兄さんに笑った。なんだ可愛いところがあるじゃないか極悪面しといて! とふふふと声を漏らしたのだが睨み殺されそうになったので止めておいた。言葉より瞳は雄弁なんだ。そういうのは私じゃ敵わない。
「いやぁごめんって。・・・ああそうそう、ところで、今度は私が質問したいんだけど」
「・・・いいだろう」
どうにも変わらない物言いだが、聞いてはくれるらしい。
「うん。そうだね、お兄さんどこからやってきたの?」
「・・・出身は北の海だが・・・」
「ん? のーす、ブルー? ノースブルー? 北? ってことは北海道? なんだそのオシャレな言い方!」
「違ェよ。最後まで聞け」
「え? 違うの?」
「・・・出身はそうだが、今は別の島にいたんだ。そしてよく聞け」
「うん?」
「知っている限り、おれの住んでいる世界に、ニホンという地名は存在しない」
「・・・・・・・・・・・・うん?」
私はその言葉を理解するのに時間がかかった、という以前に理解出来なかった。このひとはなにをいってるんだ? やっぱり記憶喪失か? と疑問符で頭の中が埋め尽くされる。
「ひとつ、聞く」
「はい?」
「この世界に・・・偉大なる航路は、あるか?」
「ぐらんど、ライン? なんですか、ソレ」
「・・・・・・はぁ」
彼のため息だけがいやに大きく響いた。

綿と心中

「その話を信じろっていうのかいトラファルガーさん」
「・・・下でいい」
「死の外科医て! なんだその中二がすきそいやなんでもないよちょーカッコイイですね。で、トラファルガーさん」
「・・・」
「冗談だよローさんそんな睨まないで」
「・・・なんだ」
「・・・私にその話を信じさせて、どうしたいんですか?」
聞けば、彼はいささか驚いたようだった。自己紹介をして、彼からは一通りの話を聞いた。どうやら自分は異世界に来てしまったらしく、前の世界では冬の気候だったということ。そして海賊であったこと。その中でも腕っ節はピカイチであったこと。そして悪魔の実の話。どれもこれもが現実離れした話だったが、彼の語り口は揺るぎなかった。でもその揺るぎなさだけで信じてしまいそうになるあたり、私は馬鹿かお人よしであろうとは思う。思うのだが、彼と出合ったあの奇異ともいえる瞬間が、その話に真実味を持たせていた。
「う? うーんなんだろう、信じても良いんだけどね」
「お前は馬鹿だな」
「あれ!? にべもない!」
「・・・おれだったら、こんな胡散臭いやつは海に投げ捨てる」
「自分で言ってどうするの!?」
「・・・・・・さァ、・・・どうしたいんだろうな?」
「・・・っ」
質問に質問で返されては言葉に詰まる。アレだ、この人と私は似ている気がする。なにって、こののらくら感が。ひとを小ばかにする感じはこの人のほうが断然強いと思うけどね! その顔と相俟って! とはとても口には出せないが思うことである。
「冗談言わんでください。私はあなたをどうこうするつもりがないというより、そんな力が無いんだよ。海もそう近くないし、不法投棄だし」
「・・・気にするところはそこなのか?」
「そこじゃないけど! いや、だから、私にはどうこうできる問題ではないってことだよ。あなたが考えてくれないと」
「・・・正論だな」
「いやなんでそんな意外そうな顔なんだよ」
彼はさも驚いたとばかりに目を見開いていたが、その反応になんというか、言いえぬ怒りがわいた。
「もっとおかしなことを言い出すかと思っていた」
「早くもアナタの中での私のイメージが分かったよ、誤解です、勘弁しろよ」
くくく、と笑う彼は真面目なのか不真面目なのか分からない。その首には軽く30億がかかっていたというのだがベリーという単位というのもありいまいちピンときていなかった。まあそれでも億は高額には違いなくて、だからその桁の違いこそが余計にピンとこない要因でもあるのだが。
「で、まぁぶっちゃけその30億とかこっちではどーでもいい話なんですけど」
「くく、そう言い切られると立つ瀬がねェな」
「だってベリーだし。あなたを、ええっと海軍? だっけ、に差し出す力も無いし」
「それでいて、冷静な判断だ」
「・・・あなたがソレをいうの」
「ああいやそうだな、冷静というよりはやはりいかれている」
「だー! もうこの人は・・・!」
がしがしと頭を掻き毟りたくなるような衝動だ。ああ言えばこういう彼は私より性質が悪い、と思うあたり、自分の性格も大概だがそれでもこの人は意地が悪い気がしてならない。
「・・・そうだな」
「はい?」
ふと、無言になったところで彼はぽつりと呟いた。その小ささに聞き逃すところだったが、自分の耳はしっかりとその音を拾っていた。
「一番は帰ることだ。だが、お前には出来ない、そうだな」
「えぇ、力不足で至極申し訳ございませんが」
「・・・謝罪は本当に責任がある時だけにした方がいいぜ」
「・・・とか言われるとなんか余計申し訳ないんでやめてくれます?」
「フ、そうかよ。まぁいい。とすればだ」
そこで言葉を止めた彼を不思議に思い見据えれば、彼もこちらをじっと見ていたので少しびっくりする。というか心臓に悪かった。この人、顔は極悪人だが、整っている。端整といっていい。だからそんな人間に見詰められれば、なかなかに迫力が出ると言うもので、どうしたらいいか分からなくなってしまうものだ。
「・・・とすれば、なんでしょう」
その無言の視線に耐えれなくて、でも真剣で射抜くような真っ直ぐさに目をそらすのは躊躇われて。私の口は堪えきれず言葉をつむいでいた。
「・・・とすれば、だ。おれはここに現れた。なぜか? それが分からない。だが・・・手がかりを見つけるには、ここにいるのが一番だと考えている」
「あぁ、それなら私も思ったところです」
「・・・・・・」
「・・・?」
「・・・お前は馬鹿だな」
「本日2度目頂きました!?」
彼はため息をついていた。隠そうともしないあたり、私のせいでついたのだろうとは分かっているが、あからさまにされればどうしたって心底心外なのである。
「だって行くとこないんでしょう!?」
「・・・"だって"、海賊だぞ?」
「養おうって人間を海賊は殺すっていうんです!?」
「・・・さぁどうだろうな。恩知らずもいるだろう」
「・・・えぇぇ」
しかしそんなことを言われてしまえば勢いも失くしてしまう。なんたることだ、海賊って。海賊ってそんな極悪なのか。某映画の船長が脳内を巡ったがあの船長ってそんな極悪に描かれてたっけ? もうちょっとひょうきんな人だった気がするんだけどな!? いや、しっかりワルではあったかも。あとは女にだらしない。とはどうでもいいかもしれないが。
「ローさんは、」
「・・・ん?」
「ローさんは私を殺したいんですか」
「・・・お前は・・・いや、随分と直球だな」
「まどろっこしいのは嫌いなんで」
「気が合うな」
そういって彼は口の端を上げた。そうして一瞬視線を外しまた私を見つめる。無意識に、こくりと喉が鳴った。
「進んで殺したいとは思わない」
「じゃぁローさんは、恩知らずなんですか?」
「・・・おれに聞くのか。意味がないと思うが」
「・・・うっ」
「まぁ・・・通せる筋は通す方だと思うがな」
「・・・じゃぁ・・・」
そこで言葉に詰まる私に「・・・なんだ」と彼は先を促した。それでもうまく言葉に出来ない私を、彼は眉間にしわを寄せながら待ってくれた。
「・・・ローさんは、これからどうしたいんですか」
その言葉に、彼が息を呑んだのが分かった。私は、覚悟して聞いているつもりだった。彼が何を言っても、そう、「ここにいるのが一番だと考えた」そういわれた時から、受け入れるつもりだった。
「・・・最初にも言ったように、手がかりを集めたい」
「はい」
「だが、おれ一人では勝手が悪い」
「でしょうね」
「・・・だから」
彼は、伝えようとすることから、ただ目をそらさない人なのだと、そのとき漠然と思った。それはこんなにも態度に出ていて、今だって私を鋭く射抜く。
「だから、そうだな。お前の力が要る。できるか」
そういって尋ねる彼の顔は幾分真剣で、最初から覚悟してたとはいえ、その真剣さに余計に絆されそうで。
「・・・休職中あーんど求職中の私に感謝してくださいね」
私は笑って茶化してしまうことしか出来なかった。


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